2012年11月01日

「ゾンビ革命」を観てきました。

ゾンビ革命 JUAN OF THE DEAD

監督・脚本:アレハンドロ・ブルゲス
出演:アレクシス・ディアス・デ・ビジェガス、ホルヘ・モリーナ、アンドレア・ドゥーロ、アンドロス・ペルゴリーア、イャス・ビラー、エリエセル・ラミレス
公開:2012年
時間:96分

●ストーリー

40代のフアンは、人生の大半をキューバという国で文字通り何もせずに過ごしてきた。
その生き方を守るためなら、どんな犠牲も厭わない。いつも一緒にいる友人のラサロは、フアンに負けず劣らずの怠け者であり、彼の2倍バカな男だ。そんなフアンが唯一、気にかけている存在が美しく成長した娘のカミーラ。しかし当のカミーラは、トラブルを起こすことにしか能のない父親とはできる限り距離を置きたい様子。
そんな折、突如として町に奇妙な出来事が起こり 始める。人々が凶暴になり互いを襲い出したのだ。当初、フアンは新たな革命が起こったのだと考える。国営メディアも、米国より資金援助を受けた反体制派キューバ人による単発的な事件と報道。
しかし、やがてフアンとその仲間たちは、犯人が普通の人間ではなく、簡単に殺せるような相手ではないことに気づいていく。その正体は、吸血鬼でもなければ悪霊でもない。
もちろん反体制派など論外だ。一度でも噛まれた者は同じく凶暴な殺人鬼へと化し、息の根を止めるには脳に致命傷を与えるしかない。
この状況を乗り切るため、フアンが考え出した最善策は金儲けだった。
キャッチコピーは“愛する人、殺します。フアン殺人代行社”。チームのメンバーはラサロにその息子のブラディ、そしてカミーラ(祖母に殺されかけそうなところをフアンに助け出された彼女は、チームに加わるより他に選択肢がなかった)だ。
彼らの業務は感染者を排除し人々を助けること… しかもリーズナブルな料金で。
しかし血に飢えた敵は大増殖し、手に負えない状況に。住民たちは途方に暮れる。
もはや残された者が助かる道は1つ。海に脱出し、殺戮の限りが繰り広げられる島から離れることだ。ついにフアンは、一生をかけてかたくなに避け続けてきた行動を選択せざるをえなくなる。それは自らの(ヒーローとしての?)責任を自覚し、希望を掲げて愛する者を導くこと。そして血肉を貪るゾンビの島となってしまったハバナの混乱から、彼らを安全に救い出すことだ。

●感想
キューバ初のゾンビコメディ映画。
この映画、ゾンビーっていうのは作中登場するジョーンズ神父が一言説明するだけで、基本的に「反体制派」と呼ばれるんですよね。
原因は従来のゾンビ映画よろしく「ウィルス」なんですけど、そこも始めにちょろっと触れるだけで、抗体とかそういうの全く出てこない。
「噛まれたら感染する」のもまぁなんとなく把握する程度。
ただ、この映画「コメディ」という枠を上手く使って倒すんですよね。
吸血鬼よろしく、ニンニクを口にツッコむ。
心臓を杭で貫く。
銀は、無いんで十字架でめちゃくちゃに祈る。
祈る間にイライラしてきて、
 頭 を 十 字 架 で ぶ ん 殴 る 。
ただ、やっぱり「自我があるんだか無いんだか」解らない動きを見せるゾンビーはコメディ的で、ゾンビーとしては荒いんだろうなって思いましたけど。
で、なんで「反体制派」って言われるかと言いますと、キューバが社会主義国家だから。
つまり、ゾンビーはアメリカの差し金。
バイオハザードとかは軍事兵器として儲けるためが最初で、安価な労働者という点でも、資本主義国家から生まれたものだったりするので、ゾンビーは資本主義の尖兵と言えるのかもしれない。
その「資本主義」に食われ、侵食されるキューバ。
政治的思想を皮肉ってるようにも見えるけど、それを楽しんで見れるのは良いことだね。
資本主義、アメリカ、それって強大なもので、キューバという国だけでは困難かもしれない。それでも立ち向かう強さはぶれないね。

映画としてはちまちま荒いところもありました。エキストラのゾンビーとか。ちょっとした小道具。
でも、全くもって目を閉じれる。
それよりも「ゾンビ狩り」を生存するためではなく、儲けるために考えるのは上手かったし、所々のジョークも良い。
ホルヘ演じる、親友ラサロの「うっかり」は最初から最後まで「救いの手」であり「トラブルの種」その両方を生かし切っていたと思うし、キャラクターとしてただの役ただズではない、愛されるキャラクターで何故フアンと親友関係にあるのかまで解る描かれ方をしてた。
これは、監督がまずフアンとラサロ、それを演じたアレクシスとホルヘありきで描いたからなんだろう。
社会主義の中「何もしない」で生きてきた二人。その二人の「ダメなところ」と「頼れるところ」をしっかり描く。
映画の中にはパートナーと「何故親しいのか」が実は分からないものがあったりする。
そりゃあ「気が合う」とか「愛し合う」とか「長年付き添っている」からだったりするけど「どんなところが良くて付き添ってるのか」それがラサロは描かれてる。
フアンも、妻とは別れていても、人間としての良さがしっかり描かれてる。
だから、フアンとラサロは安心できる。信頼出来る。
冒頭、ラサロが島から逃げ出すシーン、フアンが「お前がいないとダメなんだ」と連れ戻すシーン。
なぜ「ラサロがいないとダメなのか」それが作中で解る。
それがこの映画の良いところだと思う。
そして、各キャラクターが「魅せて」くれる。
フアンの娘であるカミーラの初戦闘シーン、自分のお気に入りキャラだったオネエのチナによるパチンコ攻撃。
その一つ一つがちゃんとピックアップされて、且つ見栄えがある。
なかでも、ラサロの息子であるカリフォルニアは唯一のイケメンの青年のため、脚力や運動神経を生かした見せ場がちらちらあり、若さゆえの呑み込みの良さ描かれてる。
「切り札」と言えるような立場でもあったように思う。
お決まりのごとく、カミーラと良い仲になっちゃうし、美味しすぎです。彼。

正直、このカルフォルニア役のアンドロスさんの別の作品も観たいと強く思った。



しかしあれだよね。
感想だって言ってるから良いんだけど、レビューっぽさがが壊滅的にないよね。俺。



●余談
今回はハロウィンということもあり、ゾンビーパフォーマーであるゾンビーナさん方が来て、無料でゾンビメイクしてくれるというイベントもありました。
正直、これがあったからこのゾンビ革命には必ず来ようと思えたレベル。
メイク時間も短かったし、ほかの方々のメイクもあったので、ちょっと個人的に物足りないメイクになってしまったけども、毎月最終日曜日にゾンビバーをやっていることもあり、そこでメイクの講座もしてもらえるとのことで、行けたらちょくちょく行こうと思っております。
ゾンビーナさんページに今回の写真がアップされるそうなのでどっかに俺も居ます。
posted by 永井 晶 at 01:29| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月25日

「Living With The Dead」を観終わった。

Living With The Dead

監督:富樫渉
出演:村松健、藤達成、亀田梨紗、板橋駿谷、永田真理、北川帯寛
公開:2011年
時間:48分

●ストーリー
謎のウイルスが蔓延してからしばらくが経ち、ゾンビが日常にいることが当たり前になった世界。
ぼんやりとバイト暮らしを続けるフリーター・庄司の前に、片手を失ったゾンビが現れた。
ゾンビを家に置き、共に暮らし始める庄司。
しかし庄司の周りに徐々に変化が起き始めて...。

●感想

今 度 こ そ ゾ ン ビ ー が ペ ッ ト !


こんどこそってなんやねん、って思った人はこちらをどうぞ。
えー、前回ゾンビーと共存した世界を描いた映画だったんですが、今回はそれが日本を舞台にしたものですね。
正直なところ、日本映画って自分ほとんど見ないんですよね。
日本のドラマとかってあんまり見てて好きになれなくって。
これも、偶然見たんです。
ユーストリームで配信してまして、それで偶然見てたんです。
ゾンビ物ってのはタイトル見てすぐに解りましたんで、すぐに見ました。
舞台は冒頭で出た通り、平成11年にゾンビーになる「ブードゥーウィルス」という病原菌が発見、治療法はなく感染したらそれまでよ。なんてテロップが流れるんですが、それで終わらない日本。

日本での感染者も膨大な人数になってきた平成14年「感染者の人権を守る会」が「感染者を死者と認めない」と主張しちゃったわけです。
いままでなら「ゾンビーは人間じゃねぇ! やられる前にぶっころせ!」だったのに「ゾンビーだって人間なんだ! 保護しろ!」ですよ。
マジプロ市民は鑑ですわ。
しかも国会でも「感染者差別禁止法」可決しちゃって、感染者は障害者と認定。

つまり、ゾンビーは「れっきとした人間なんです!」が法的に認められたわけで。

親族のみ、自宅で保護して、外出時には首輪付けてね。

ですよ。
ぶっちゃけ、ゾンビーが親族だったら、犬かなんかと同じように扱ってオッケー!
日本の懐深すぎて奈落が見えるぜ……!

その後も感染者の人権向上のデモが起きたり、そのデモに感染者確認されなかったり。保護法出来たり、してついに感染者三百万人突破!
したところから始まるです。

この映画の凄いところは「ゾンビーが化け物ではない」こと。

あくまで、障害者とか、ちょっと危ない動物程度の認知なんです。
路地裏では、チンピラに普通にボッコにされてるゾンビーも居るし痴漢と間違われて女性にバッグで殴られまくるゾンビーだっている。調子ぶっこいて食われたりもする。
このゾンビー達、ゾンビーノでもそうだったけど首輪が付いていないのを「野良」と呼ばれるんですね。ゾンビーノでは「ワイルドゾンビ/野生ゾンビ」だったんですけど。
その「野良」とか「首輪」とか、餌をあげたり、散歩させたり、本当に扱いが犬なんです。
野良ゾンビの駆除だって、特別な組織がするわけじゃない。保健所任せです。
保健所に電話して連れて行ってもらいます。
保健所マジ万能。
ゾンビーノではあまり説明されなかった「ファイドが主人公たちを襲わない理由」がこの映画では説明しなくても「懐いたから」なんだろうなぁってのが自然とわかるんです。
それこそ、犬が懐いた、懐かない。大人しい犬、獰猛な犬。そういう位の「違い」が明確にあるんですよね。
ゾンビーの大体な物に感じるんですが、このゾンビー達、実に可愛い。
途中ゾンビーの散歩中、別の散歩中のゾンビーと抱き付き合っちゃったり、公園で鳩捕まえてたり、その羽根でむせ込んだり。
っつうか、ゾンビーってむせるんだ!? ですよ。死んでるくせに苦しかったりすんのかって。
生活の中にゾンビが溶け込んでるという意味ではゾンビーノを超えているし、登場する人間たちも「あー、こういう人居るなぁ」って思えるほどリアリティがある。
そういう面から見ても、最近テレビで見るような人間じゃあないんですよね。
愛想がいいような悪いような、活気があるようなないような、そういう人間同士のかかわり、そして最初のテロップでの日本政府の行動や一部の日本人達の運動。

そういうゾンビーの表現以外でも人間模様が素晴らしい作品だと思いました。


[配信予定]

3RD THEATER SELECTION(入選作配信)
10月22日(月〜10月26日(金) 各日20:00
3RD THEATER FESTIVAL 2013
2013年7月11日(木)・12日(金)・13日(土) (※配信スケジュール未定)
posted by 永井 晶 at 22:59| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月05日

「ゾンビーノ」観終わった。



ゾンビーノ(Zombino)。原題[Fido]

日本公開(2007)
監督:アンドリュー・カリー
脚本:アンドリュー・カリー、ロバート・チョミアック、デニス・ヒートン
出演:キャリー=アン・モス、ビリー・コノリー、ディラン・ベイカー、ヘンリー・ツェニー、ティム・ブレイク・ネルソン
配給:ライオンズゲート
時間:91分
レイティング:PG12

●ストーリー
かつて宇宙からの放射線の影響で死体がゾンビとなり人々を襲う事態が発生。
しかしゾムコム社が開発したゾンビを従順にする首輪によって、地球に平和が戻った。それから数年後の小さな街ウィラード。
ティミーの家でもペットとして最近流行のゾンビを飼うことに。
いじめっ子から助けられたのをきっかけにゾンビと仲良くなったティミーは、ゾンビに「ファイド」と名を付ける。
しかしファイドが近所のお婆さんを食べてしまい……。



●感想

 ゾ ン ビ ー が ペ ッ ト ! ? 

っていうと「えっ!?」って思うんだけど、そこまでペット要素は高くないッス。むしろ奴隷。労働力。

DVDでは初めてのレビュー。レビューっていうかマジでただの感想なんですけど。



ゾンビーと言えばホラー。
それこそバイオハザードのような群衆で襲ってくる恐怖としてはゾンビーは今やトップクラスなクリーチャー。
労働力っていう意味では失敗してる感が否めない彼ら。
最初期のゾンビーというと「ベラ・ルゴシのホワイト・ゾンビ」ですかね。
あの時既にゾンビーは「低コストな労働力」としての登場だった。

この映画でのゾンビーはどういう立ち位置か。
一般家庭にまで浸透した「取扱注意な労働力」なんですよね。それは旧来のゾンビーそのもの。
オカルト世界で、一部の魔術師や呪術師、悪魔なんかの労働力を一般家庭として利用したら? そういうところのお話。
ゾンビーがペット! なんていうけど、なんてことはない。
「支配を逃れた凶暴な今日のゾンビー」と「重労働者としての旧来のゾンビー」を同居させた映画なんです。バイオハザードなんかは軍事力として結構ビジネスに使えるんじゃねってくらいになってますけど。まぁ、4,5のはゾンビじゃあないですし。6でどうなってるのかは体験版しかやってないみじゃあわかりゃせん。
とにもかくにも「人権の無い人型労働力」と言うとよぎるのは「黒人奴隷」で、それを面白おかしくオマージュした映画といったところ。
奴隷、職業としては使用人。身分やら人種やら、そういった壁を撤廃して仲良くなろうとする人ってのはいつの時代にもいたはずなんですよね。
それこそ、この作品に登場した「テオポリス氏」が特にそれを顕著に表現したキャラクター。
それこそ、労働力・奴隷・ペットなゾンビーとキスまでする。わざと凶暴化させたゾンビーと戯れて夜を過ごすなんてのもそう。
そこらへんは、本編冒頭からゾンビーに対して懐疑的だった主人公ティミーに影響を与えていたんだろう。
ヘンダーソン老女史の偏屈さ、ティムの実父であり、ゾンビー嫌いと破滅思想的なゾンビーへの恐怖から家族にすら素直な愛情表現が出来ないビルの不器用さ。
そういう屈折した思想を持った大人、厳しすぎる大人と自由な、理解ある大人の狭間に居れば少年であるティムには判断は付かないんだろうね。
ゾンビーという目を引きやすい「労働力」を黒人差別時代とすり合わせて、コミカルに描いた作品。
あと、原題の「Fido」って言うのはペットに付ける名前としてはベーシックらしいですね。
日本で言うところの猫なら「タマ」とか、犬なら「ポチ」とか、そういう感じの名前なんですよね。
これを固有名詞だし、そのまま持ってきても良かったんだろうけどやっぱりそこは日本の広報。「ゾンビー」をプッシュしたいのは丸見えですわ。
ゾンビーとバンビーノ(イタリア語で男の子)でもかけたんじゃあなかろうか。
これ【カナダ】の映画ですけど。あそこ英語とフランス語だった気がする。

この映画は「ゾンビー映画」ではない。
「ルールを守りましょう」なんて映画でもない。
至ってありがちな「愛情」の映画。
そもそも、ゾンビーの首輪が作られた理由からして「ゾンビー化した妻を失いたくないから」という我儘から生まれた物。
そして、ビルが家族にも冷たい程ゾンビー嫌いになるのは、ビル自身が11歳の時、ゾンビーになった父を撃ち殺した事が原因となっている。
深く掘り下げはしないものの「ビル・ロビンソン」がどういう人生を歩み、どういう思想を持っているか、って言うのが分かりやすく触れられているんですよね。
多分、ビルの父親は良い親父だったんだろう。そんな父がゾンビーになって襲ってきた。
それが非常にトラウマになっているんだろうと想像に難くないのは、作中のビルのヒステリックな一言にも上手く凝縮されている。
ビルは、自分の愛する人に襲われたくはない。殺したくはない。そして、襲いたくない。そういう優男だったんでしょうな。
優しいんだけど臆病だったんだろうね。親父を殺す羽目になればそりゃそうか。
妻のヘレンは社会的に「普通の幸せ」が欲しかったごく普通の女性で、ゾンビー嫌いな夫と周りの住民との摩擦に耐える強かな女性。
第二子を身ごもっている辺り、ビルとの仲も冷めきってはいないわけだし、ビル自身情を捨てることが出来ない人間ってのは強く描写されていたしね。
親子の愛情、夫婦の愛情、そして、身分を超えた愛情。
そういった様々な愛情を皮肉と風刺たっぷりに描いたコメディ映画。
短い描写で、人間関係をきれいに描いているし、ゾンビーのちょっと間抜けに見えるウスノロさと凶暴さ。メイクもおざなりでなく、綺麗に仕上げていて楽しい。

少年ティムとゾンビーであるファイドの信頼関係を主軸に置きつつも、ビルの精神的な解放っていうところに眼が行ってしまったなぁ。
多分薦めてくれた友人とは違うベクトルではあるけど、非常に満足できる映画だったことには間違いないです。
「ゾンビー」とは何か。という基礎的な入門にも向いた作品ではないでしょうかね。



ところでさ、ティムの父であるビル・ロビンソンを演じた、ディラン・ベイカー。
ちょっとケネディ大統領に顔、似てない?
ケネディは人種差別問題に奴隷解放のために深くかかわってた人で、やってることビルとは違うタイプの人だけど。
あと、タミー可愛いよタミー。弾丸が頭かすって皮膚えぐれちゃったタミー。活動停止してなくてよかったわ。
妻であり、母であり、女であるヘレンが良妻賢母過ぎて、あの人良心的な範囲ではあるけど、チートだろ。ポジションとキャラクターがおいしすぎる。ってところでおしまい。
posted by 永井 晶 at 22:59| Comment(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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